連載小説「絆(a distancia)」 「まだ、残っていたのか・・・」 一本の木を目の前に、鳴瀬洋平はそうつぶやいた。 かつては、総合病院が建っていたその土地。 移転に伴い、レジャー施設として生まれ変わるはずだった。 しかし、折からの不況でスポンサーの支援もままならず、計画は挫折。 そこはもう何年も空き地のままだった。 そんな中たった一本残されていた木を、洋平は見つけたのだ。 決して大きくはないが、枝に広がりを見せるその姿は、 寂しさよりもむしろ温かみを感じさせる。 その木に近づき、じっと見つめる洋平。 木の幹に手を触れると同時に、そっと耳をくっつけてみた。 秋とはいえ風が妙に暖かい、11月の終わりの事だった。 それから10分程経っただろうか。 「・・・洋ちゃん、洋ちゃんだね?」 後ろから洋平の名前を呼ぶ声が聞こえる。 振り返ってみると、そこには見た感じ60歳ぐらいの小柄な女性が立っていた。 洋平はすぐに見当がついたらしく、こう叫んだ。 「タキさん、タキばあさんだろ? 久しぶりだなあ!」 タキこと大野タキは、この空き地の近くで、もう50年以上駄菓子屋を営んでいる。 洋平も小学生や中学生の頃、帰りによく寄り道で通っていた。 又、彼女の孫である大野淳と洋平が親友だった事もあり、特に親しかった。 「どうだい洋ちゃん、久しぶりにウチによって行かないかい?」 「そうだなあ、これから特に予定も無いし・・・それに淳の事も聞きたいしね」 「それじゃ決まりだ。その代わり、あの頃みたいにオマケは付かないからね」 「わかってるってそんな事。俺だってもう27なんだから!」 そんな言葉のやりとりをしながら、二人はタキの駄菓子屋に向かって歩いて 行った。 その駄菓子屋は、洋平の記憶そのままに存在していた。 くじ付きの1個10円のガムや粉ジュース、ビン入りのラムネなど全てが 懐かしかった。 洋平とタキは、店の中央の小さなテーブルに向き合う様に座り、話を始めた。 「そう、洋ちゃんは雑誌の編集の仕事をね〜」 「まだ駈けだしだけど。いろんな人に会って取材とかしてるんだ。  おかげで全国を飛び回ってるよ」 「今日ここにいたのも仕事?」 「その予定だったんだけど、相手が事故でケガしちゃってまるまる1日休みに。  それであの辺をブラブラしてたって訳」 「そいつは偶然だったねえ・・・」 ふと洋平は、奥の部屋のテレビの上にルービックキューブが置いてあるのを見た。 「タキばあ、あれってもしかして・・・」 「そう、淳が小学5年の時に入院しただろ? あんたがその見舞いに持ってきて  くれたヤツだよ。」 「いや〜、あん時はホント困ったよ。お袋が花持って行けって言ったんだけど、  男が花じゃさあ・・・暇つぶしにと思ってアレにしたんだ」 「でも、アレのお陰で淳はあんたと仲良くなれたんだ。感謝してるよ」 「恥ずかしいな、そんな風に言われると。ところで、淳は今何してるの?」 一瞬タキの笑顔に、苦笑とも困惑とも言えぬ微妙な変化が見えた。 そして、おもむろに奥の部屋に行き、一つの手紙の束を持ってきた。 20通はあるだろう、かなりの厚みがあった。 「淳ったら、もう3年近く家に帰らないのよ。こうやって手紙はよこすんだけどね。  ここで読むのも何だし、洋ちゃん良かったら持ってく?」 洋平は無言で手紙の束を受け取った。 「あっ、ついでにこれもあげるよ!」 そう言ってタキは、袋入りのせんべいと梅ジャムを手渡した。 「サンキュー、ありがたく頂戴するよ」 そう礼を言うと、洋平は駄菓子屋を後にしていった。 既に夕暮れ近くなっていた。 アパートに戻った洋平は、早速カバンから手紙の束を取り出した。 20通はあるその手紙。 それは洋平の右手に重くのしかかっていた。 単に手紙だけのものではない、高校卒業以来ほとんど淳と会う事が無かった10年 という歳月の重さでもあった。 何度か電話で話した事はある。 しかしここ5〜6年は完全に音信不通だった。 「明日も休みだから、明日ゆっくり読もう・・・」 そうつぶやくと、洋平はベッドに横になり、そのまま眠りについた。 翌日昼近くに起きた洋平は、手紙の束を手に行きつけの喫茶店へと向かった。 注文したコーヒーを飲みながら、手紙を読み始めると、ある事に気がついた。 一番古い手紙の消印が1999年の12月となっている。 つまり、淳は実際には3年近く帰っていない。 しかも手紙のほとんどがエアメール。 この3年近くを海外で過ごしていた事は容易に想像できる。 もともと東京でカメラマンの仕事をしていたが、海外に修行にでも行ったの だろうか? 手紙の内容から、淳はヨーロッパを旅しているようだった。 イギリス、フランス、ポーランド、ハンガリーにスウェーデン・・・ 実にその数は10カ国を超えていた。 その国での生活や出会った人々の様子を、克明に文面に記していた。 写真も数枚入っており、そこには人々の生き生きとした表情が写し出されていた。 洋平自身、実に楽しそうに手紙を読みつづけていた。 そして、最後の手紙にー。 「あれ?」思わず洋平は声をあげた。 無理もない。 最後の1通だけが、どう見ても国内の便箋だったのだから。 手紙の消印は2002年の4月1日。 住所こそ書かれていないが、切手の上には「札幌」とはっきりスタンプが 押されていた。 「北海道? 何でいきなり・・・」 そう思いながら洋平は便箋から手紙を取り出し、読み始めた。 2枚の便箋と1枚の写真。 便箋には淳のメッセージがびっしりと書かれ、写真には見慣れない花 が写っていた。 洋平は、一字一句読み漏らさない思いで読み始めた。 「前略 みんな、元気ですか?   いきなり北海道からの手紙でビックリしているだろうね。  1年半ヨーロッパをまわって、いろんな人々と出会い、別れてきました。  楽しい思い出はもちろん、手紙では書けない辛く悲しい体験もありました。  日本に戻ろうと思ったのは1ヶ月程前かな?  一度東京に戻り、昔から行ってみたかった北海道にそのまま飛行機で・・・  最初はレンタカーで道内を走ってみました。  その雄大な自然は驚きの連続!  シャッターを押す回数も自然に増えていきました。  現在は、あるライブハウスの店長の実家に居候。  とても面倒見の良い人で、いつまででも居て良いよとは言ってるんだけど・・・  来年の春には帰るよ。  それまでは、このワガママもう少し許して下さい。  追伸 もし洋平が家に来るようなことがあったら、今までの手紙を見せて     やってよ。     それと、ライブハウスは写真の花と同じ名前だから・・・」 しばらくの間、洋平は写真の花を見つめていた。 すると、カフェのマスターが後ろから声をかけた。 「洋平、珍しい花の写真じゃないか?」 「マスター、この花知ってるの?」 「ああ、昔見た事があってね。かんざし姫っていうんだ。  こいつは北海道でしか咲かないよ」 「それじゃあ、これがライブハウスの・・・」 突然、洋平の携帯が鳴った。  会社の上司からだった。  どうやら取材の依頼が入ったらしい。 「洋平、北海道の支社がお前に来て欲しいそうだ。  打ち合わせをしたいんだが、今すぐ会社に来てくれないか?」 「わかりました、すぐに行きますよ」 そう答えると洋平は手紙をまとめてカバンに入れ、カフェを出た。 「淳に会えるかもしれない・・・」 そんな淡い期待を抱きながら、洋平は足早に会社へと向かって行った。 洋平が札幌の支社に着いたのは、それから3日後の事だった。 北海道で話題になっているカメラマンを雑誌で紹介するにあたり、 写真とインタビューに精通している洋平が呼ばれたのだった。 支社の応接室には、既にテープレコーダーと数枚の資料が置かれ、 セッティングが完了していた。 「あと30分ぐらいで来るから、その資料に目を通しておいてくれよ」 そう言うと、支社長は応接室を後にした。 一人になった洋平は資料を手に取り、読み始めた。 資料によると、そのカメラマンはKeiという現役の大学生で22歳。 コンテストで注目を集めるようになったが、それ以外の事は公表されず 現在に至っていた。 もちろん、性別や顔写真も全く知られていなかった。 次に洋平はKeiの作品に目を通してみた。 数枚の写真は全てモノクロ又はセピアで、モチーフは人の後ろ姿ばかり。 妙といえばそれまでだが、洋平はある事を感じはじめていた。 「淳と正反対だな、これ。でも、どこか同じ匂いをしている・・・」 人を前面から写した淳と、真後ろから写したKei。 全く逆だが、真正面から捉えている事に変わりは無い。 いつしか洋平は、Keiの写真に魅せられていた。 その時、応接室をノックする音がした・・・ 「はじめまして、Keiといいます」 そう言って入ってきたのは、小柄な女性だった。 黒のダッフルコートにジーパン、そして茶色に染めたショートヘアが いかにも学生らしい。 「鳴瀬です。こちらこそよろしくお願いします。」 名刺を渡すと、洋平はテープレコーダーの録音スイッチをONにした。 インタビュー自体は、ごく基本的なものだった。 Kei自身の生い立ちや、写真を撮るようになったきっかけ。 大学での生活や卒業後の事など・・・ Keiは質問に対して丁寧に、かつ熱っぽく答えてくれた。 こうして1時間後、インタビューは終了。 洋平はKeiに「これで終わりです。ありがとうございました」と礼を言った。 「ちょっと、これ見てもらえるかな?」 洋平は淳の撮った写真をKeiに手渡した。 「へえ〜、表情が豊かで力がありますね。  これって、鳴瀬さんが撮ったんですか?」 そう言っていたKeiだが、ある写真を目にした途端に驚きの声をあげた。 「えっ! なんでこれを持ってるんですか?」 Keiは自分の手帳から一枚の写真を取り出すと、それを洋平に手渡した。 今度は、それを見た洋平が驚きの声をあげた。 「何だこれ? こんな事ってあるのか?」 その写真は、共に全く同じアングルで撮られたかんざし姫の花だった・・・ その日の夜、洋平は「Kei」こと畑野恵子の家を訪れた。 彼女の父、畑野英二は「かんざし姫」のマスターである。 そこにある日、淳がたまたま遊びに来たのが全ての始まりだった。 英二は淳の作品や人柄に惚れこみ、バイトはおろか、自分の家に居候まで させていたのだ。 英二は洋平を暖かく迎え入れ、もてなしてくれた。 というか、洋平が英二の酒につきあわされたと言うべきだろうか・・・ あいにく淳は写真を撮りに出かけており、いつ戻るかは誰も判らないという 事だった。 すっかり酒のまわった英二が寝てしまうと、恵子が洋平に声をかけてきた。 「裏庭に行きませんか? 見せたいものがあるんです」 洋平と恵子は裏庭へと出て行った。 そこで洋平は意外な物を目の当たりにする。 「こ、これって・・・」 そこには、あの場所と同じ大きさ、同じ枝ぶりの木が立っていた。 「淳さんも、最初この木を見てビックリしたんです。まるでこの木に引っ張ら  れてここに来たようだって言ってましたよ」 「全くその通りだね。何か不思議な力でもありそうな・・・」 「でも、淳さんの写真もそうだった。私が写真をとるようになったのって、  淳さんとの出会いがきっかけだったんです。あの花の写真も、焼き増しして  もらって・・・ あっ、私ちょっと布団の用意してきますから」 一人になった洋平は、あの時と同じように目の前の木をじっと見つめていた。 と、その時―。 「よう、お前もここに来てたのかよ」 不意の呼びかけに洋平は振り返った。 そこには、まぎれもない大野淳が立っていた。 「淳、いつ戻ったんだよ・・・」 「いつって、忘れ物をしたからついさっき来たばっかりさ。  まてよ、ここにいるって事は・・・洋平、お前俺の手紙読んだんだな?」 「ああ。ちょうど仕事でこっちに来たら、偶然にもここに辿り着いたってわけさ」 満月の白い輝きは、まるで二人だけを照らしているように見えた。 淳はヨーロッパに渡った経緯を話し始めた。 「東京にいる時はとにかく枚数を撮るのに精一杯だった。そのうち、体調を  崩し始めていって。ある日、撮影中に意識を失ってしまったんだ。気が  ついたら病院のベッドの上でさ・・・ 退院してしばらく休んでいる  うちに、自分の撮りたい写真が判らなくなってしまって会社を辞めた。  体調が戻った頃、小旅行のつもりでヨーロッパに行ったんだ」 結果的に長旅になり、一時東京に戻ったものの、昔から行きたかった北海道に 向かい現在に至るという事だった。 洋平は一番気になる事を聞いた。 「で、お前が撮りたい物は見つかったのか?」 「おぼろげながら、見えてはいるよ」 「そうか・・・ 手紙どおり家には戻るのか?」 「もちろんさ。でも、その時は一人じゃなく・・・恵子も一緒に・・・あっ、  これはまだ誰にも言うなよ、洋平!」 「おい、それどういう事だよ! もう少し詳しく・・・」 「いいから飲み直しだ、飲み直し! 洋平、この事は恵子にも内緒だからな!」 結局、恵子を含む3人で夜遅くまで飲み明かしたのだが、洋平は妙な心地よさを 味わっていた。 そして翌朝、淳は再び旅立ち、洋平は北海道を後にしていった。 洋平が北海道から戻って、半年が過ぎようとしていた。 生活は相変わらず忙しいが、淳の存在が良い刺激となっているのか 表情は明るかった。 そんな日々の中、洋平は新たな道を歩もうとしていた。 支社長として仙台への異動が決まったのだ。 一方の淳は、約束通り実家へ帰ってきた。 恵子は大学卒業後体調を崩し、一緒に来る事は出来なかった。 しかし、体調が戻れば東京で仕事を探す事にしている。 淳も再び東京に戻る決意をしていた。 その時に恵子を両親とタキに紹介しよう、と心に決めながら。 今度は一人ではない。 淳には大切なパートナーが隣にいてくれる・・・ 日差しが心地よいある日の午後、洋平はあの木がある空き地にきていた。 半年前と何ら変わらない表情で、洋平を迎え入れてくれた。 じっとその木を見つめた後、そっとつぶやいた。 「それじゃあ、いってくるわ・・・」 2003年3月30日。 洋平が仙台に出発する前日の事だった。 〜The road goes on〜